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大分地方裁判所 昭和55年(ワ)105号 判決 1985年10月02日

原告

麻生治

原告

麻生美和子

右両名訴訟代理人

徳田靖之

立花充康

被告

亡秋本嘉雄承継人

秋本ゑみ子

被告

秋本裕

被告

秋本奈保美

右三名訴訟代理人

河野浩

主文

一  被告秋本ゑみ子は、原告らに対し、各金七三一万九三八三円及びこれに対する昭和五五年二月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告秋本裕、同秋本奈保美は、各自、原告らに対し、各金三六五万九六九一円及びこれに対する昭和五五年二月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用はこれを一〇分しその三を原告らの、その余は被告らの負担とする。

五  本判決第一、二項は、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告秋本ゑみ子は、原告らに対し、各金一〇六五万円及び内金九九〇万円に対する昭和五四年六月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を、

被告秋本裕、同秋本奈保美は、各自、原告らに対し、各金五三二万五〇〇〇円及び各内金四五七万五〇〇〇円に対する昭和五四年六月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を、

各支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告らは、訴外麻生はなみ(以下「はなみ」という。)の父母であつて、相続人であり、承継前被告秋本嘉雄(以下「秋本医師」という。)は、秋本病院を経営する医師である。<以下、省略>

理由

一請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二まず、診療契約の成否について判断するに、はなみが昭和五四年六月二三日昼ころ、秋本病院を訪れたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、はなみは、秋本医師の診察を受けたが、その際、はなみの勤務先の上司である訴外一丸いく子が立会い、秋本医師に対し、はなみが、同月二二日、開業(鎗水内科医院)医師訴外鎗水吉彦から、メニエル氏症候群であると診断されたことを告げて、入院治療することを求め、秋本医師はこれに応じて、はなみを入院させたことが認められるが、そのことの故に、はなみと秋本医師との間に、メニエル氏症候群の治療のみに限定された診療契約が締結されたものとすることはできず、むしろ、医師と患者との診療契約は、ある程度包括的な内容をもつのが通常であつて、本件においても具体的な疾患を目的とする診療契約がなされたとする特段の事情は認められず、はなみの全身状態に応じた治療を行うことを内容とした診療契約が締結されたものというべきである。

三次いで、はなみの症状経過及び診療行為について判断するに、<証拠>によれば、以下の事実が認められる。

1  はなみは、昭和三〇年三月二五日生れの健康な女性であり、昭和五三年三月株式会社一丸に入社して、婦人服の販売に従事していたところ、昭和五四年六月初旬に風邪の症状を呈して、病院へ行き、投薬を受け、その結果、症状はなくなつたが、同月二一日勤務中に眩暈を訴えたものの早退することはなく、その日は勤務を続けた。

はなみは、翌二二日勤務を休み、午前一一時三〇分ころ、鎗水内科医院を訪れ、訴外鎗水吉彦の診察をうけ、同月二一日から、眩暈、吐き気、頭痛がする旨を告げたが、はなみの血圧は最高一一四、最低七八で異常がなく、血液学検査の結果も貧血の徴候がみられないため、訴外鎗水吉彦はメニエル氏症候群と診断して、症状緩和のためにメイロン(七パーセントの重曹水)四〇ミリリットルを注射した後、一時間半ベッドに寝かせて経過をみたが、はなみが帰宅するというので、自律神経失調の治療薬であるベレルガル三錠、ガレマ、オリザノール、脳血管拡張剤であるカビラン、血管拡張剤で脳賦活剤であるATPアデノシンサンリンサン、胃腸障害の調整剤であるプリンペランを吐き止めとして、各三日分投与して帰宅させた。

はなみは、右同日夕食を友人に作つてもらい、少量を摂取したが、眩暈がして、ろれつがまわらず、物を言いにくそうで、トイレに行くのもふらつきながらであつた。

2  翌二三日(土曜日)、はなみの症状は悪化し、眩暈がし、物を言いづらい様子で、倦怠感があり風邪をひいたような状態であつて、勤務につける状態でなかつたので、友人である訴外市原美鈴が勤務先の上司である訴外一丸いく子に、はなみの症状を電話連絡したところ、訴外一丸いく子は、秋本医師に診察してもらい、入院させたほうがよいと考え、同医師に電話して、入院させて欲しい旨を申し出たうえで、はなみに秋本病院へ行くことを指示した。

はなみは、兄である訴外麻生祐治に付き添われて、右同日午前一一時三〇分ころ、秋本病院を訪れたところ、訴外一丸いく子も来ていて、直ちに秋本医師に診察を受けたが、その際、訴外一丸いく子が秋本医師に対し、はなみが鎗水内科医院で、メニエル氏症候群だと診断されたことを述べたため、秋本医師は、はなみに、眩暈の有無、鎗水内科医院へ行つたことを尋ね、はなみはこれに軽く応答した。

秋本医師は、はなみの胸部エックス線撮影、心電図、尿検査、血液検査をそれぞれ行い、入院させることにして、二階の病室に入れた後、フルクトラクト五〇〇ミリリットル、モリアミン二〇ミリリットル、コカローゼ五〇ミリグラム、フラッド二〇ミリグラムを点滴注射し、さらに、ファイナリン一グラム、ビタメジン三カプセル、メリスロン三錠、ジヒデルゴット三錠、セレナール三錠を一日三回服用することとして、三日分を投与した。

3  はなみは、訴外麻生祐治、同一丸いく子の手を借りて階段を上つて二階の病室に入り、午後三時ころまで、訴外麻生祐治に付添つてもらい、その後、訴外市原美鈴が見舞に訪れたが、その際、はなみはろれつがまわらず、話がききとりにくい発声状態であつた。

はなみの母である原告美和子は、訴外麻生祐治から、入院の知らせを聞いて、午後七時四〇分ころ秋本病院へ赴き、付き添い看護を始めたが、はなみは夕食をほとんど食べていなかつたものの、トイレにも独りで行き、歯も磨くことができた。

はなみは、喉の痛みを訴え、同日午後八時ころから、ひつきりなしに痰が混濁している唾を吐き出し、ティッシュペーパーでふきとるようになり、一晩中これを繰り返し、一睡もできなかつた。

原告美和子は、翌二四日(日曜日)午前五時ころ、秋本医師の診察を求めて看護婦を探したが、見つからず、午前六時になつて、看護婦に痰がでることを告げて、秋本医師の診察を求めたところ、午前七時になつて、やつと秋本医師の診察を受けることができた。

秋本医師は、はなみの胸部を聴診器で診察し、風邪をこじらせているから、四、五日すれば良くなる旨告げて帰りかけたので、原告美和子が喉が悪いのではないかと尋ねたところ、痰の切れる薬を投与する旨答えて、特にはなみと言葉をかわすこともなく病室を出て行き、その後、午前九時ころ外出してしまつた。

秋本病院には、医師が秋本医師だけしかおらず、看護婦は八名いるが、正看護婦は一名だけで、右同日の担当看護婦は、訴外清松トヨ子及び同吉山洋子の二名だけで、ともに見習看護婦であつた。

訴外市原美鈴、同白根京子が、出勤前の午前八時三〇分ころ、はなみの見舞に訪れたところ、はなみは非常に衰弱している様子で、口がきけず、身振りで意思を伝える状態であつた。

訴外清松トヨ子は、秋本医師の指示により、午前七時ころ、下熱作用及び咳止め作用のあるオベロンと抗生物質のビスタマイシンを注射し、その後の午前九時ころ、栄養剤及び脱水病状防止剤としてフルクトラクト五〇〇ミリリットル、モリアミン二〇ミリリットル、コカローゼ五〇ミリグラム、フラッド二〇ミリグラムを混入点滴し、午前一一時三〇分ころ、それを終えた。

4  はなみは、右点滴終了後、独りでトイレに行つたものの、言葉は依然として発しずらい様子で、手真似や手帳にメモをして意思を伝えており、右同日昼過ぎころからは、排出する痰が濃くなつてきて、口の外まで排出できず、ティッシュペーパーを口内に突込んで、ふき取るようになつたので、原告美和子は、午後一時ころ、訴外清松トヨ子に秋本医師の診察を求めるため、その所在を尋ねると、外出中であると答えて、その所在を教えないので、脱脂綿、ビニール袋、金の棒を借り、痰の取り方を教えてもらい、それによつて、はなみの痰の排出をするようにした。

はなみは、午後三時ころになると痰が喉につまりだし、呼吸困難を生じ、手帳に「苦しい」と書くようになつたので、原告美和子は、検温に来た訴外清松トヨ子に秋本医師の帰宅の有無を尋ねたが、帰宅していないというので、脱脂綿をさらにもらつて、痰の排出に務めたが、午後三時三〇分ころ、はなみは、強く秋本医師の診察を求め、原告美和子に訴外一丸いく子に電話して、その所在を尋ねるように指示した。

原告美和子は、午後四時三〇分ころ、訴外清松トヨ子が夕食の配膳に来たので、再び秋本医師の所在を尋ねて、診察を要請したが、同医師は帰宅していないというので、帰宅したら直ちに診察するように求め、午後五時前ころ、訴外一丸いく子に電話して、秋本医師の所在を尋ねたが、分らなかつた。

訴外清松トヨ子は、午後五時三〇分に勤務を終了したので、後任者の訴外吉山洋子に、はなみが秋本医師の診察を要請していることを伝えて帰宅した。

はなみは、午後七時ころ、独りで、トイレに行き歯を磨いて、体をふいて着替たが、発熱はないもののひつきりなしに痰を排出し、午後七時三〇分ころ、勤務先の友人七、八名が見舞に来た際には、足をベッドの枠に押しつけて痰の排出を我慢していたが、ほとんどしやべることができず、筆談することしかできなかつた。

原告美和子は、午後七時二〇分ころ、訴外吉山洋子に痰の切れる薬を要求したが、同人は、はなみの様子を見に来ることさえせずに、なんの薬も与えなかつた。

はなみは、見舞客が帰つた午後八時ころから、痰の排出する回数が増え、痰がだんだん口の奥の方から出てこなくなり、指や棒を口内に突込んで排出するしかないようになつた。

訴外白根京子が、午後八時三〇分ころ、うちわと花瓶を持つて、はなみの病室を訪れると、はなみは息ができなくて苦しい様子で、指を口に突込んで痰を取ろうとしており、原告美和子は、その様子を見て訴外吉山洋子に秋本医師の所在を尋ね、診察を求めた。

訴外吉山洋子は、秋本医師の妻被告秋本ゑみ子に連絡し、はなみの診察要請を伝えると、それが秋本医師に伝わつて、同医師から、右同被告を介して、フェノバールの注射と精神安定剤であるユーロジンの内服薬を投与するように指示してきたので、午後九時三〇分ころ、右注射を行い、右内服薬を与えた。

はなみは、右内服薬を飲まなかつたが、注射後、症状は悪化するばかりで、痰が喉の奥から出てこなくなり、息ができず、喉をかきむしるようになり、顔を真赤にして、汗が吹き出すようになつた。

秋本医師は、午後一〇時ころ帰宅したが、訴外吉山洋子は、はなみの症状に変化はないものと思いこんでいたため、同医師に変つたことはない旨を伝え、同医師は、はなみを診察しなかつた。

はなみは、午後一一時ころ、原告美和子に枕もとにある医師を呼ぶブザーを押すように求め、同原告が躊躇していると、自分からブザーを押したが、看護婦も秋本医師も来ないため、同原告が探しに行き、訴外吉山洋子を見つけて、病室に来るように告げて、病室に戻ると、はなみの息はきれていた。

訴外吉山洋子は、はなみの脈を見て、直ちに秋本医師を呼びに行き、同医師は駆けつけて来たが、はなみの脈は既になく、顔面も白くなつており、人工呼吸をし、強心剤を注射したが、その効果はなく、午後一一時三〇分死亡を確認した。以上のとおり認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

四そこで、右認定事実を前提として、はなみの死亡に関する秋本医師の過失の有無を判断する。

1  はなみの死因について考察するに、鑑定人松葉健一、同永松啓爾の各鑑定の結果(等)によれば、次のとおり認められる。

はなみの死因は、喀痰または唾液のような液体が気道内に貯溜して、気道の閉塞をきたして窒息したものであるが、その原因は、はなみが入院当初から眩暈を訴えていたこと、意識は死亡直前まで清明であり、発熱はなかつたこと、発語障害があり、唾液など分泌物の排出が多く、嚥下障害、気道内蓄積があつたことからして、延髄からでている第九(舌咽)、第一〇(迷走)、第一二(舌下)の各脳神経が麻痺したこと(以下「球麻痺」という。)によるものである。

はなみに球麻痺を生じさせた基礎疾患としては、ギラン・バレ症候群(感染性多発性神経炎)が最も可能性のある疾患として考えられる。

もつとも、<証拠>によれば、ギラン・バレ症候群は、運動神経伝導速度をきわめて遅延させ、神経幹を刺激して得られる筋活動電位は、正常な場合のように急峻な立ち上りを示さず、多峰性を呈し、そのため四肢に運動障害を生じさせ、また髄液の細胞タンパク解離が顕著で髄液中のタンパク値が一デシリットル中一〇〇ミリグラム(但し、一デシリットル中三〇〇ミリグラムを超えない。)以上となることが認められるのに対し、前記認定事実によれば、はなみは、歩行に困難を伴うものの、死亡の四時間位前には独りでトイレに行つていて、顕著な四肢の運動障害はなく、また、原告麻生美和子本人尋問の結果によれば、はなみの遺体解剖はなされなかつたことが認められ、そのため髄液の所見も明らかでない。

しかしながら、鑑定人永松啓爾の鑑定結果(等)によれば、ギラン・バレ症候群に髄患した患者でも、四肢に著しい運動障害を生じない場合があること、随液中のタンパク細胞解離が、ギラン・バレ症候群の決定的な決め手となる特徴ではないこと、ギラン・バレ症候群に罹患した当初は、上気道感染症の症状を呈し、一ないし三週間後に運動障害等の症状を呈してくることが認められ、そうであれば、前記認定のとおり、はなみは、昭和五四年六月初旬に風邪の症状を呈して病院に行つており、また、軽度であるとはいえ、両足に運動障害を生じて、歩行が困難になつているのであるから、前示のとおり、はなみの基礎疾患としては、やはり、ギラン・バレ症候群である可能性が最も高く、そう認めて差支えはないものというべきである。

2  右認定事実に基づき、秋本医師の過失の有無について考察するに、<証拠>と鑑定人松葉健一、同永松啓爾の各鑑定結果によれば、以下の事実が認められる。

メニエル氏症候群に罹患しても、発語障害、嚥下障害、運動障害を生じることはなく、これと球麻痺との区別は明瞭であり、たとえ開業医にとつて球麻痺の診断を下すことに困難な場合が多いものとしても、メニエル氏症候群でないことの判断は十分に可能であつたというべきであるから、発語障害等があれば、開業医であつても神経性の疾患を疑い、専門医による受診を指示するのが通常であるといえる。

球麻痺の症状としては、発語障害のほかに、呼吸障害、嚥下障害、循環障害という生命にかかわる症状がでるから、球麻痺を生じさせている基礎疾患を問わずに、まず呼吸を確保することが第一であり、特に、ギラン・バレ症候群が臨床的に疑われる患者は、しばしばきわめて突然に球麻痺の症状が出現するため、当初いかに軽症のようにみえても、呼吸確保の諸準備(喀痰の排出を行うための喀痰融解剤、気管内吸引を行う器具であるレスピレーター及び人工呼吸を行うための気管内挿管、気管切断の準備)を整え、絶えず臨床症状の進行度を観察しながら、適切な処置を行う時期を失しないようにしなければならない。

フェノバールという薬剤は、フェノバルビタールを迅速に作用させるために有機性溶剤を用いて注射液にしたもので、不眠症、不安及び緊張状態の鎮静、てんかんのけいれん発作に効果があるが、中枢神経系に対する全般的な抑制作用があるため、延髄の呼吸中枢及び血管運動中枢に対しても抑制作用を生じ、呼吸停止や血圧降下をきたすおそれがあり、そのため効能書には、呼吸機能の低下した者には、原則として投与しないこと、高齢者、虚弱者への投与には十分注意することが記載されており、健康な人であれば、影響がほとんどないような少量であつても、呼吸機能が低下した虚弱者には、重大な呼吸抑制及び血圧低下の作用を生じることがある。

前記三認定事実に、右認定事実を加えて、秋本医師の過失について検討するに、はなみは、昭和五四年六月二二日ころから、ろれつがまわらず発語障害があつたのであるから、秋本医師が同月二三日に十分注意して問診していれば、その点に気がついたはずであり、そうすればメニエル氏症候群ではなく、なんらかの神経系統の疾患を疑い、専門医による受診を指示し得たはずであるにもかかわらず、これを看過し、また、秋本医師は、翌二四日午前七時ころ、はなみを診察した際に、原告美和子から喀痰の排出が多い旨を告げられたのであるから、同原告及びはなみに対し、喀痰の排出量、排出回数及びその内容物について尋ねていれば、はなみの嚥下障害はもちろんのこと、発語障害についても気がついたはずであるのに、安易に風邪の症状と誤信し、同原告及びはなみから症状などの諸事情を十分に聞こうとせずに、これを看過し、さらに、秋本医師は、同医師の履行補助者に過ぎないものともいうべき見習看護婦二名を残しただけで、右同日午前九時ころには外出してしまい、そのために、原告美和子が再三にわたつて、右見習看護婦らに秋本医師の所在を尋ね、その診察を求めているにもかかわらず、右見習看護婦らは、食事の配膳及び定期的な検温の際に病室に来ただけで、はなみの様子を十分に観察することも、話しかけてみることさえもせずに、その症状に変化はなく問題のない患者であると誤断し、同日午後九時三〇分ころまで、秋本医師に診察要請を連絡しないという結果を招き、そのうえ、秋本医師は、右見習看護婦の電話連絡を聞いて、直接はなみを診察せずに、すでに喀痰の排出に困難をきたし呼吸機能の低下しているはなみに対し、呼吸抑制作用及び血圧降下作用のあるフェノバール注射を行うように指示し、かつ、午後一〇時ころ帰宅したにもかかわらず、見習看護婦の言を軽信し、はなみの様子を見に行くことさえしなかつたのである。

もつとも、はなみ及び原告美和子は、秋本医師に対して、発語障害のあることを告げておらず、また、はなみの症状が悪化してきた昭和五四年六月二四日午後九時三〇分以降、原告美和子は秋本医師の診察を求めていないが、しかし、原告美和子も、右同日午前七時の診察の際に、秋本医師から、風邪をこじらせている旨告げられていたから、物を言うのが困難なこともそのせいだと考えていたとも推測されるのであり、むしろ、秋本医師自身こそが、積極的に問診をして、はなみの症状を把握すべき注意義務があるのであつて、特に、発語障害については、はなみの応答の様子を観察することにより容易に分ることであり、発語障害の症状を知らなかつたことをもつて、はなみ及び原告美和子に責任があり、秋本医師には過失がないなどとはいえず、また、原告美和子が右同日午後九時三〇分以降、秋本医師の診察を求めなかつたのは、同医師が帰宅すれば、何度も診察要請を看護婦にしていることから、当然診察してくれるものと考えて、遠慮していたと推測されるのであつて、右事情をもつて、秋本医師の過失を否定又は軽減するような事情とはとうていし得ない。

したがつて、秋本医師は、はなみの症状及びその変化を的確に把握し、それに応じた治療などを行うべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、同人を入院させた後、前記認定のような経過・状態のままにして置き、かつ、生命に重大な影響を与える薬剤を投与する場合には、十分診察したうえで、その投与の是非を決定し、投与後はその経過を注意深く観察すべき注意義務があるにもかかわらず、これに反して、呼吸機能の低下をきたし、衰弱しているはなみに対し、呼吸抑制及び血圧低下を招くフェノバール注射をするように指示し、そのうえ、右注射後、全くはなみの様子を見ることさえしなかつたのであり、秋本医師には、医師として一般的に要求されている基本的な注意義務に反した過失があるというべきである。

五それで、秋本医師の賠償責任の範囲について判断する。

1  被告らは、急性球麻痺の予後は不良であり、かつ、はなみの症状は急激に悪化し、その結果、死亡したのであるから、人的、物的に完備した病院でも救命しえなかつたのであり、秋本医師の措置とはなみの死亡との間には、因果関係がない旨主張するので、その点について検討する。

<証拠>によれば、はなみに対して、喀痰溶解剤を投与し、レスピレーターで気管内吸引を行つて、喀痰を排出しつつ、気管内挿管や気管切開を行い、人工呼吸をすれば、延命しえたことが認められるのであつて、その延命期間はともかく、秋本医師の不適切な処置が、はなみを死亡に至らせたことは明らかであつて、被告らの右主張は理由がない。

したがつて、秋本医師は、はなみの死亡によつて生じた損害を賠償すべき義務がある。

2 ところで、はなみの症状経過は、前記三認定のとおり、昭和五四年六月二二日ころから、球麻痺の症状を呈し始め、同月二四日午後八時三〇分ころから、急激に悪化し、喀痰の排出が著しく困難になつて窒息死したものである。

そして、<証拠>によれば、急性球麻痺は、心臓及び肺の機能を低下させるため、その予後は非常に不良であること、はなみの症状経過は、急激に重篤な状態に陥つたもので、十分な呼吸管理をしていても、健康な体に回復し得たか疑問があることが認められる。

もつとも、前記四認定のとおり、はなみの基礎疾患としては、ギラン・バレ症候群が最も可能性のある症患であると考えられ、<証拠>によれば、ギラン・バレ症候群は自然治癒するものであり、その予後は一般に良いとされていることが認められるが、<証拠>によれば、球麻痺は単に呼吸障害、嚥下障害を生じさせるだけでなく、循環障害も生じさせること、ギラン・バレ症候群であつても、延髄からでている神経が麻痺した症例では、強度に麻痺が生ずると死の転帰の可能性を否定できず、また、その予後も悪いことが認められるのであつて、はなみの基礎疾患がギラン・バレ症候群であつても、はなみの前示症状経過及び球麻痺の性格を考慮すると、仮に秋本医師が適切な治療行為を施していたとしても、はなみが確実に健康体に復することができたと断定するには、躊躇せざるを得ない。

そうであれば、秋本医師の処置と、はなみの死亡との因果関係を否定することはできないものの、はなみの前示のような重篤な疾病の性質自体及びその急激な症状経過にかんがみると、秋本医師の不適切な処置以外のものも死亡の誘因となつているものと推測される。

したがつて、秋本医師に、はなみの死亡によつて生じた損害の全額を賠償させることは、公平の原則にもとるので、以上の事情を考慮して、全損害の九〇パーセントを賠償させるのが相当である。

六秋本医師の賠償すべき損害について判断する。

1  逸失利益

はなみは、死亡当時二四歳三ケ月であつたから、少なくとも四二年間は稼働可能であり、逸失利益の算定にあたつては、昭和五四年の賃金センサス・産業計・企業規模計・女子労働者全学歴計の平均年間所得額一七一万二三〇〇円を基礎として算定するのが相当で、これから民法所定年五分の中間利息を年毎式新ホフマン法により控除し、さらに生活費控除(控除率を五〇パーセントとする。)を行うと、逸失利益は一九〇八万六一五一円(171万2300円×(1−0.5)×22.293=1908万6151円 但し、円未満切捨、以下同じ。)となり、秋本医師が賠償すべき金額は、その九〇パーセントの一七一七万七五三五円である。

原告らは、はなみの相続人として、右逸失利益の二分の一である各八五八万八七六七円を取得した。

2  慰籍料

はなみは、二四歳の女性で、将来のある身であつたのであり、秋本病院に入院し、十分な治療が受けられると期待していたにもかかわらず、これを裏切られ、なんらの処置も行われずに窒息死した肉体的、精神的苦痛は甚大であり、また原告らもはなみの父母として、その受けた精神的苦痛は深甚なものがあると推測され、その他一切の事情を考慮すると、原告らの慰籍料は一〇〇〇万円を相当とするが、本件においては前記五で説示したごとく、秋本医師の賠償責任の程度を斟酌すると、原告らに対し各四五〇万円を秋本医師に賠償させるのが、相当である。

3  葬儀費用 二五万円

4  弁護士費用 各一三〇万円

七秋本医師は昭和五七年二月二日死亡し、被告秋本ゑみ子が二分の一、被告秋本裕、同秋本奈保美がそれぞれ四分の一ずつ、同医師の権利義務を相続したことは、当事者間に争いがない。

ところで、原告らの本訴請求は、債務不履行に基づく損害賠償請求であるが、原告らが秋本医師に対し、本件訴え提起前に損害賠償請求を行つたことを認める証拠はないから、記録上明らかな承継前被告秋本嘉雄に対する本件訴状送達の翌日である昭和五五年二月一六日から右賠償金額に対する民法所定の年五分の割合による遅延損害金を請求しうるに過ぎないことになる。<以下、省略>

(裁判長裁判官江口寛志 裁判官森 真二 西田育代司)

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